僕は漫画家で、Twitter上で「限界サラリーマン」と言う大人気4コママンガを連載している。主人公の限界くんが、仕事のストレスで苦しむ様子を描いた漫画だ。
ここで突然重大発表をしてみる。実は、あの「限界くん」のモデルは僕である。「まさかそんな!」と言う読者の皆様の顔が目に浮かぶ。この点に気づいていた人はこの世に一人もいなかっただろうと思う。実はあれは僕の体験談なのだ。大どんでん返しではないか。
僕は逃げた人間だ。あの苦しみから数年経って、「あの時、どうしたら乗り越えられたんだろう?」と今でも悩むことがある。そして毎回、「こうやったら解決できた」と言う道筋は見えず、悶々として終わることになる。
ただ、漫画を描いて、当時を振り返るうちに少し考えが変わってきた。
「あの時、どうしたら乗り越えられたんだろう?」と言う問い自体が間違っているのでは?と言うのが今の考えである。問いが悪い。
つまり、「いや、これどうやっても無理だったんじゃね?」と言う気持ちに、描きながらなってきた。確かに「ここでこうしておけば・・・」と言う手がなくはないのだが、それは「あの時僕が米津玄師だったら・・・」「もし大谷翔平だったら・・・」みたいなものである。当時の僕にはあれしかできなかった、ってことだと最近やっとわかってきた。
「もうどうしようもなくなって、引き寄せの法則の本にすがって精神を保つ(実話)」などの、はたから見たら滑稽なレベルの行動、努力、判断だったかもしれないが、当時の僕としてベストを尽くしたことは自信を持って言える。あの瞬間に、この体で生まれて、あの経緯であの場に立って、できることとしてはあれしかなかった。だから仕方なかった。どうにもならなかったんだ。と、最近やっと受け入れることができてきた。
昔「からくり人形マネジメント」と言う記事を書いた。他人に対しては「人の行動に文句を言ってもしょうがない。その人の体で、その人と同じように育って、その人と同じ状況にいたら、誰でもそう動くはずだから」と思えるのだけれど、僕は自分に対してそう思えてなかったんじゃないか、と最近気付けてきた。しょうがなかった。どうしようもなかった。
と言うことで、もう少し4コマ漫画を書きながら、過去を受け入れていこうと思う。