からくり人形マネジメント

からくり人形の話

人に自由意志があると思うと腹が立つ。

僕は、「人には自由意志はない」と思って人と接している。 からくり人形というか、こういうインプットをしたら勝手にこういうアウトプットが出てくる、みたいな「仕組み」だと思って人を見るようにしている。

たとえば仕事で部下に、「最初はちょっと面倒だけど、こうした方が仕事がうまく進むよ」とアドバイスしても、部下がいつも通りの非効率な進め方をしたとしよう。そんな時に、自由意志が相手にあると思うから、「どうして頑張ってやらないんだろう」等と相手を責める方向に思考が行ってしまう。

そう考えても無駄なので、その人を単なるからくり人形だと考える。肉体や経験や知識でプログラムされた空っぽのシステムだと捉える。今回のケースだと、その人は、「面倒なことは避けて、今目の前で楽な方向に進むようにプログラムされた人形」だと考える。(比喩でなく実際そうだと思う)

人形なので、「怠けたい」とかそういう自由意志的な要素はない。石ころに怒っても仕方ないように、からくり人形に怒っても仕方ない。怒るぐらいなら、からくり人形が、思った方向に動くようなインプットを探す方が有意義なように思う。

最近ちょっとうまくいったケースをメモしておく。

Gitをコマンドで操作事件

20代の若手4人組に、「Gitはコマンドで操作した方が早いよ」と僕はアドバイスしていた。 非プログラマ向けにかみ砕いて言うと、「とある道具を、マウスでポチポチ操作するより、最初はちょっと難しいけど練習してキーボードだけで操作した方が効率がいいよ。練習しよう」とアドバイスしたわけだ。

でも誰もやらない。自分には難しいと思い込んでいるとか、スキルを身に着けて楽になった成功体験がないとか、そういう「仕組み」なのかなと思った。

ある日、僕はその中の一番の若手としゃべっていた。 彼は4人の中では一番の新入りで、他の兄弟子達の指導を受けている。上下関係的には下の人で、少し「いじられキャラ」的なポジションだった。

そこで僕はふと思い立って、実際にGitのコマンド操作をやってみせた。 すると彼は、「おおー…僕もちょっと練習してみようかな…」とつぶやいて去っていった。

でも次の日見てもやっていない。マウスでポチポチしている。 おそらく、できるようになったイメージは湧いたものの、ちょっと面倒だったら逃げるクセがまだ残っているように思った。

このあたりで僕はちょっと考えて、「これ、うまくいったら全部解決するんじゃないか」と思って、ちょっと仕掛けてみた。 グループチャットで、「○○さんが、"俺はGitをコマンドで操作するんだ!"と挑戦すると昨日言っていました! もしマウスでポチポチしていたら、『どうしてコマンドで操作しないの?』といじって上げてくださいね」と投げかけてみたのだ。

他の3人の"先輩"方は、最初は嬉々として彼をいじってくれた。 一番の若手の子も、これで引くに引けないので、Gitをコマンドで操作し始めた。

実は、コマンドで操作するのは大して難しくない。やればできる。 数日経って「どうですか?」と、一番の若手に、他の人から見える場所で聞いてみると「使ってますよ。たしかに早いですね!」等と言っている。

すると、他の先輩方もGitをコマンドで使い始めたのだ。イジっている一番下っ端の後輩が普通に使っているので、「自分も使わないと恰好がつかない」というメンツ駆動で動き始めたように見える。 もちろん、「自分にもできるはず」という、ブレーキが外れたのもあると思うけど…。 兄弟子たちは、最初はニヤニヤしながら気楽にイジったのだと思うが、後輩ができるようになったら、その言葉は自分に跳ね返ってくる。そりゃ当たり前の話である。

まとめ

とまあ、これは小さい話なんだけど、割と面白かった。 若いからくり人形たちは、遠い楽より近くの楽、という仕組みで動いていた。そこを、遠い楽の大きさをしっかり伝えて、近い楽に対しては、兄弟子との上下関係という仕組みで圧力をかけた。そういうインプットを受けたら、一番下の子は勝手に動き出した。兄弟子たちは、「後輩の頑張り/成功」というインプットを、「俺にもメンツがある」「俺にもできそうだ」という仕組みを通じて「自分もコマンドで操作する」というアウトプットにつなげたことになる。

割と軽い刺激で、パタパタ…とドミノが倒れたので、こうやって色々と、人を動かせたら面白いだろうなぁと思った話でした。

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