「好きにしたらええんやで」の全盛期である。
令和四年、何するにも自由である。個人の意志がここまで尊重された時代は今までなかったのではないか。
他人に迷惑をかけない限り、全ては個人の自由である。
勉強するもよし、遊ぶもよし、結婚するもよし、しないもよし、働くのもよし、働かざるもよし、職場の飲み会を断るのもよし・・・。
逆に、強制は悪である。
「早よ結婚しなさい」と言う実家の親は火炙りの刑に処せられ、後輩を厳しく指導する上司はパワハラ扱いで尻叩きの刑、夜道で刺されても文句が言えない、だって、それがダイバーシティだから・・・。そう言う時代である。
僕なんかも、若い頃は「自由にさせてくれよ」と思う人間であった。トガりにトガっていた。
人が普通にやることは絶対にしない。結婚はしたくない。結婚式はゴミ、子供は欲しくない、むしろ子供を作るのはエゴで許されない。赤子を見ると首を捻りたくなる、何がかわいいんだあいつら。ふざけた顔して知能も低い。オレかい?オレは勉強はしない。大学には行かない。やるのはパチンコと麻雀。そんな自分に異議を唱える親は張り倒してきた。
友人はそんな僕をこう呼んだ。
“ザ・ジャックナイフ・オブ・リバティ”
・・・と。
“おう、久しぶり、ザ・ジャックナイフ・オブ・リバティ。今日の夜空いてる?麻雀のメンツが足りなくて”
・・・と。
だが”ザ・ジャックナイフ・オブ・リバティ”も、10年以上も社会という荒波に揉まれていくうちに変わってしまった。
その妖しい光は消え、ナイフのように尖った心は摩耗し、ナイフの先端は折れ、赤子が頭をぶつけても怪我をしないように丸く丸く、保護シートが貼られている。我が子はかわいい。ああぁかわいい!ベロベロバァ!ベロベロバァ!ベェロベロバァア!!ああかわいい、娘がかわいい。今日もほっぺたに鼻をスリスリしてきた。あぁかわいい、食べちゃいたい!ハムハム・・・。よーし、娘のために明日もお仕事頑張っちゃう!お仕事も、やってみると結構楽しい。色々なことができるようになるのは楽しい。そして妻には感謝している。もっと盛大に結婚式をやればよかった!
ジャックナイフがこうなったのは、自由を捨てたからである。
自由を捨ててがむしゃらに吐くまで厳しく職場の先輩たちに働かされたからである。そして、妻に強制されたからである。結婚も、子供も、最初はあまり気乗りしなかったが、一種の強制力を持ってこうなったのである。(こう言うと妻は怒るかもしれないが)
僕の当時の自由を優先していたら、今の世界は見えていなかった。
嫌になるほど働いたことでできるようになったことがある。結婚をして得る幸せがある。結婚式をやってみて、こんな良いものだったのかと知る。自分の子を見て、こんなにかわいいのかと知る。ああかわいいよ、ザ・ジャックナイフ・オブ・リバティ二世・・・。ベロベロバァア!!
未熟な人間の思う最適解なんて、未熟なものだと思う。無駄だと思うことが無駄ではなかった。子供はかわいいし、仕事はやってみるもんだし、結婚も素晴らしい。僕の自由意志を尊重していたら、とんでもないことになっていた!
昔の僕みたいな人を見ると、「もっと広い世界があるよ」「もっといい場所があるよ」「もっといい経験ができるよ」とお節介を焼きたくなる。
一種の強制力を持って、ぶつかっていく、人に関わることは本当に悪なのだろうか?自分の自由意志を尊重しまくっていていいのだろうか?
そこにはゆらぎがない、外乱がない。
知ってる世界、わかってる世界、思った通りの世界、にいることになる。心地はいいけど、もったいないんじゃないかな、とジャックは思う。
でもこの世の中である。
「テメェ仕事舐めてんのか、やり直してこい。必死で一回やってみろ」と叫びたくなるのを堪えて、「うーん、これはアイデアの一つなんですけどね、もちろんやる、やらないは○○さんにお任せするとして・・・」と、リバティはアドバイスをするのである。