“正しさ”における論理の限界

この記事の主張

この記事では、以下の主張が正しいことを、まとめて説明してみます。

・「若いうちからお金を貯めずに遊んでるやつはバカ」という奴はバカ

・「彼女が感情的で困る、論理的な主張に従ってくれない」という奴はバカ

・「人を殺してはいけない」という主張は論理的には導けない

・企業の社訓・社是・理念はガチで大事

さあはじめましょう!

論理の限界

論理的だと自分で思っている奴は、論理的な主張の正しさを過大評価している傾向があります。たとえば、マネーリテラシーの低い人に大して、マウントを取る人の主張を見て見ましょう。

「老後資産には○○○○万円必要。月○万円ためて年率○%で運用すれば○歳に○○○○万円になる。だから、倹約して備えない奴はバカだ。」

確かに、ロジックで煮詰めていけば、一見「論理的に正しい」ように見えます。

老後資産には○○○○万円が必要
→○○○○万円を作るには今のままでは無理
→現実的な方法として資産運用がある
→年率○%で運用するとシミュレーションすると月○万円貯める必要がある

もし仮に、この論理の連鎖の一つ一つが強固で正しいものだとしたら、これは「正しい主張」になるのですが・・・

ここで立ち止まって考えてみましょう。この連鎖の左端には、何があるのでしょうか?

論理の鎖の左端

一つ一つの論理のつながりが、仮に100%正しかったとしても、最終的な右端の結論が正しくあるためには、出発点の左端が正しくないといけません。例えば、

「人間は死なない」と「僕は人間だ」という前提から、論理的に導き出される主張は「ゆえに僕は死なない」となります。論理の鎖自体は正しいのですが、左端の「人間は死なない」が間違っているのです。

では、一般的に主張の鎖の左端にあるのは何でしょうか?それは「価値観」です。

例えば老後資産のために積み立てが必要、という主張の左端には、「老後には金銭的に余裕がある生活をすべき」という「価値観」があるはずです。

でも、「価値観」とは万人に共通のものではありません。「いや、老後より今が大事でしょ」という価値観を持つ人にとっては、最初の1ステップ目で同意ができないのです。

つまり、「正しい絶対的な事実」だと思っている主張のほとんどは、単なる価値観から導き出された主張でしかない、ということです。

このように、いくら本人が「論理的に正しい主張だ」と思っても、「価値観に合意する」という最初のステップを踏まないと、受け入れることはできないのです。もっと言うと、どんな価値観の人にでも通用する、「絶対的に、論理的に、正しい主張」なんて存在しないのです。

冒頭の主張の、論理の鎖の左端に注目してみましょう。

「若いうちからお金を貯めずに遊んでるやつはバカ」
→「老後に楽しく過ごしたい」という価値観

・「彼女が感情的で困る、論理的に話してほしい」
→「感情ではなく論理で行動するべき」という価値観

・「人を殺してはいけない」という主張は論理的には導けない
→「自分は殺されたくない」とか「平和に生きるべき」という価値観

これらの価値観に同意されないと、主張は成り立ちません。「殺されたくないよね?だから殺すのは禁止なんだよ」と主張されても、「いや、俺は殺されてもいい」と言われたら主張は通らないわけです。

だから、絶対的に自分の主張が正しいと思っていたり、自分の導き出した論理的な主張(実体はただの価値観)で、他人を測る人間は滑稽だと、私は思います。

こんな感じで、「ああ、絶対的な正義ってないんだなぁ」と大学生ぐらいの時に気づいて、少し生きるのが楽になった覚えがあります。

余談ですが、企業の社訓・社是・理念はガチで大事だと思っています。なぜなら、会社内で議論して意思決定するとき、議論の際に立ち返るべき価値観が、参加者の中でブレていると、論理に基づいて意思決定できないからです。「利益の最大化をするべき」「○○を通して社会をよくするべき」などの、根っこの価値観が、議論の土台として必要なのです。

以上、つらつらと思っていることを書いてみました。

おわりに

ついでなので、正義について考える本で面白かったものを、以下に紹介しておきます。この本のメインメッセージである、正義は平等・自由・宗教の3種類しかない、という洞察は見事というしかないです。サンデル教授の白熱教室よりよっぽどわかりやすいし面白かったです。おすすめです。

正義の教室

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