「うんこを漏らしたことがない奴は、人間としての深みがない」父はそう言った

人間としての深み

車を運転しながら、父は助手席の僕にこういった。

「うんこを漏らしたことがない奴は、人間としての深みがない」

父の横顔を見ながら、僕はこう推測した。

「あ、お父さん、うんこ漏らしたことあるんだ」

自然な推測である。これだけうんこを漏らした人間を擁護する人間は、きっと、うんこを漏らしたことがある。そう、そしてこのやり取りの数時間前。僕もうんこを漏らしていた。

怒涛の書き出しで申し訳ない。父とのやり取りの数時間前に、時を戻して説明しよう。

通学路での便意

僕は猛烈な便意に耐えていた。

当時僕は高校生だった。高校へは電車で20分、そこから徒歩で15分程度の道のりだったが、駅に着いた時点で猛烈な便意に襲われたのだった。

脂汗が止まらない。電車を降りた時点で、客席というか肛門のボルテージは最高潮だった。そこから15分だ。とても耐えられるものではない。

なぜ駅でトイレに駆け込まなかったのだろう。僕は悔いた。時間が永遠に感じた。

「打撃の神様」と呼ばれた、読売巨人軍の川上哲治は「ボールが止まって見えた」と言ったそうだが、その境地に僕もいた。一瞬が永遠に感じていた。

いくら歩いても、校門には辿り着かない。しかし、肛門にはすでに辿り着いていた。我慢の限界だった。

何度、脇道に駆け込んで、野グソをしてしまおうと思ったか思い出せない。

極限状態だと、それもいい選択肢に思えた。人気のない脇道が、「ほら、おいでよ」と、何度も僕を誘ってきたことは、30歳を越えた今でも鮮明に覚えている。16歳だったあどけない僕を、妖艶に誘うあの脇道、田舎道を。

ノックノック。

ウンコが肛門をノックする音が聞こえる。ノックの音はどんどん大きくなり、何もかも飛び出しそうだ。便意を我慢しながら僕は歩く。そして僕は、見事に校門にたどり着いた。

しかし、そこからが長い。

通っていた高校は、校門から校舎へが遠く、歩いて数分かかるのだ。

脂汗まみれにまみれながら、僕は歩みを進める。校内に入った今、脇道はない。僕には、野グソという選択肢はもう残されていなかった。

みのもんたが、「もうあの脇道へは戻れません」と言いながら「脇道での野グソ」と書かれた小切手を破ったような気分だった。(クイズ・ミリオネアを知らない若い皆さんには分からないだろう。申し訳ない)

あの妖艶に誘う田舎道はないのだ。「田舎道で野グソがしたい」あんなに切望したことはない。不退転の決意を持ち、僕は進む。

その頃から僕の頭は、最悪の事態を想定し始めた。

「もしうんこを漏らしてしまったらどうしよう?その時はどう取り繕おうか?」

このころから、投資家・トレーダーとしての片鱗を見せる若干16歳である。鬼のような損切力だ。(うんこを漏らすようなら十分損切が遅いが…)

「うんこが漏れたとして、被害を最小限にするにはどうしたらいい?」

この難題について考えているとき、僕は、友達のエビス君の話を思い出した。ちょっとここで、エビス君の話をさせてほしい。

ケーススタディ エビス君がうんこを漏らした話

エビス君は、僕の友人だ。彼は、小学生の頃、遠足の時間にうんこを漏らしたことがある。つまり、父の言うところの「人間としての深みがある」友人だ。

不幸にも彼は、遠足でみんなで歩いている最中に、うんこを漏らしてしまったらしい。

小学生は残酷である。

「あれ?なんか臭くね?」周囲の子どもたちが言い出す。その時、エビス君はどうしたか?ここがポイントだ。この窮地でどう言ったか?人間の深みはこういう時に現れる。彼はこう言ったらしい。

「わりぃ、屁ぇこいた」

強い。守りではなく攻めの姿勢だ。攻めることで被害を最小限にする。損切りの精神だ。カウンターの精神だ。グロッキーのボクサーが、あえて踏み込んで前に出て打ち合う。そんな凄みを感じる。この返しは素晴らしい。まさに人間の深みがある対処である。やはり、脱糞は人を強く、深くするのだ。

「なんだよエビス、屁こくなよ」

同級生にこう言われて、その場は切り抜けられたらしい。なんという損切り力だろうか。

さて、エビス君の話は終わりだ。校門を通り抜けたが、肛門は通り抜けていない高校1年生の僕に、話を戻そう。

そして、トイレへ

「最悪のケースでも、僕にはエビスメソッドがある。」錯乱状態の僕は、こんなロジックを心の底から信じるほどだった。学校の校門をブレークスルーし、自分の肛門もブレークスルー寸前の僕は、どうにかこうにか校舎へと辿り着いた。やった。もう少しだ!

息を整えながら、校舎の中へと進む。

最寄りのトイレはどこだ?僕は頭をフル回転させる。弾き出した答えは「中学1年生用のトイレ」だった。説明しよう。僕は中高一貫校に通っていた。だから、1つの校舎の中に、高校生向けの教室と中学生向けの教室が混在していたのだ。

僕は顔面蒼白なまま、中学1年生向けのトイレへと進んだ。青息吐息、呼吸法を少しでも誤れば大惨事、という中、背丈が一回り小さい中学生に紛れて、僕は中学1年生用のトイレへ進んだ。

やった!トイレについた!

嬉しくて涙とうんこが出そうだった。(うんこは前からでそうだったが)

ここまでたどり着いた僕を褒めたい。湧き上がる自尊心。こんなに誇らしい時は、16年間生きてきて一度もなかった。

あとは「ベルトを緩める、ズボンをずらす、しゃがむ」、何千回と練習した、この動作を滞りなくこなすだけ。

しかし、滞った。極度の緊張とバッドコンディションは、この動作をスムーズに行うことを許してくれなかった。

下ろしかけたズボンの上にもりもり乗っかるうんこ。

僕は「茫然自失」そのもの、itselfだったと思う。かるたに「茫然自失」という札があれば、「ぼ」という文字とともに、中一向けのトイレでうんこをもりもり漏らす僕のイラストが描かれていると思う。

最悪の結末で終わった。何もかもが信じられなかった。

そんな僕を現実に引き戻したのは、うんこのにおいだった。

うんこは臭い。

本当の意味でうんこの臭さを知っているのは、この下品な記事をここまで読んでくれた、紳士淑女の皆様の中で、一体何人いるだろう?

お集りの皆さんは、だいたい、水の中にいるうんこの匂いしかしらない。うんこは、水の中にダイブしているから、たいして臭くないのだ。水まで届かず、地上に降り立ったうんこは本当に臭いと、この時に知った。

この臭さを、周囲が放っておくはずがない。ましてやここは、中学1年生向けのトイレである。ただならぬ臭気に、中学1年生たちが気づきだした。

「あれ?なんか臭くね?」

「ほんまや!めっちゃ臭い!」

トイレの外で中学生達が騒ぎ出す。僕は何もできずに茫然と立ち尽くす。彼らは騒ぎ続ける。

「もしかして鈴木じゃね?」

「確かに!あいついっつもウンコしてるもんな!」

念のため説明しておくが、私の名は、鈴木ではない。彼らの友人に、中学1年生の鈴木君がいるのだろう。ごめん、鈴木君。君の名誉を汚してしまった。

扉の外から悪魔たちの声は続く。

「おい、鈴木!うんこくっせぇぞ!」

「出てこいや!こらぁ!」

あろうことか悪魔たちは、僕の入っているトイレに体当たりを始めた。

「おーい!スズキィ!(ドン!ドン!)スズキィ!(ドン!ドン!)」

扉の先には、3歳も年上の男が、下半身丸出しで立ち尽くしているとは思わず、悪魔たちは体当たりを続ける。僕は怖かった。泣きそうだった。

「(キーンコーンカーンコーン)」

1時間目のチャイムが鳴った。扉の外の悪魔達は、「鈴木ィ!はやく来いよ!ギャハハ!」と笑いながら去っていった。

エピローグ

「うんこを漏らしたことがない奴は、人間としての深みがない」

“体調不良”で早退する僕を拾って、自宅に軽トラで帰る途中、父はそう言った。怒涛の時間だった。便意と感情のジェットコースター。本当に色々とあった。不安、妥協、計画、安堵、絶望、恐怖。ありとあらゆる強い感情が僕を通り抜けていった。こんな経験はなかなかできないだろう。

うんこを漏らす前の自分とは、明らかに違う自分がいた。経験が僕を強くした。そんな実感があった。

経験したからこそ、わかることがある。

「(人間としての深み、か…)」父の言葉を噛みしめながら、僕は父にこう返した。

「そうだね」と。

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