僕の比喩能力はTOEICでたとえると1500点である。
圧倒的な具体と抽象の往復速度、距離によって編み出されるその比喩ツイートは、万人の心を掴んで離さない。ただしかし、僕は非常に奥ゆかしいので、抜群の比喩能力でバズり散らかしたツイートを、自慢げにここに掲載して説明するような厚顔無恥なことは遠慮させて頂くことにする。抽象的な自己紹介で留めておく。
さて、この圧倒的な比喩能力についてであるが、ツイート以外にも活用できることが本日判明した。
比喩は、あるモノを抽象化して、何か別の目の前のモノとの共通点を指摘する行為である。
比喩においては、その抽象化と具体化の高低差、ジャンプの幅が重要である。ジャンプが大きいほど、そのパワーは強力となる。しかし、比喩力はそれだけでは決まらないのである。
「比喩力 = 元ネタ × 抽象・具体の往復運動力」
僕は、抽象具体の往復力には光るものがある。申し分ない。
しかし、比喩の元ネタに無頓着だったのである。何をたとえるにしても、第一候補を「うんこ」にしてきた。ここの元ネタ選定の能力が、僕の比喩力の成長のボトルネックだったのである。僕がこの圧倒的な比喩力を持ってしても、Twitterのフォロワー数が6000人をピークに下がり続けているのは、これが原因だと考えられる。
しかしである。
「うんこ」の部分を「ドラッカー」とかにすると、一気にビジネス仕様になる。
実際、とあるお仕事で、「ドラッカー先生がこんなこと言ってたんですけど、一見違うッスけど、完全に同じ状況っスよね」的なことをふと言ったら、思った以上に先方に響いて、人が「そやな」「そやそや!」と、ごろごろと動いていったのである。
一見全くドラッカーに関係がない、目の前のうんこみたいな事象に向けて、圧倒的な抽象化と具体化のジャンプ力で持って、ドラッカー先生が遠く遠くから飛びかかる。うんこに着地する。眼前に匂う立ち、いや、仁王立ちするうんこまみれのドラッカー。「まさかこのうんことあのドラッカーが一緒だったなんて!」と言う衝撃は聞き手の胸を強く揺さぶる。
あまりの破壊力、説得力に自分でも驚いてしまった。この破壊力はどこからくるのか。3つの理由があるという結論に至った。
「1. 後光」と「2.骨太」と「3.ギャップ」である。
まず、うんことドラッカーでは、ビジネスマンの間での認知度は同程度だが(共に99.9%)、権威性の面で大きく異なる。偉大なるドラッカー、というだけでなんかすごく感じるのである。これが後光である。
第二に、論理の骨太さである。うんこは弱々しく握るとバラバラになるのに対して、ドラッカーの論理展開はガチガチに太い論理が一本通っている。やはり時代を超えて残る偉人のうんこは太く、硬く、一本筋が通っているのである。全ての言動が、言われたら納得せざるを得ない論理と事実から導き出されている。
その太くて硬いロジックを抽象化して、思いっきりジャンプさせて、目の前の現象に適用する。すると、無茶苦茶強いのである。ドラッカーの太くて黒光りするロジックが、僕の主張の骨組みになる。
第3に、ギャップである。「この目の前のうんこがドラッカー先生と一緒だったなんて!」と言う圧倒的な比喩のジャンプと本質への洞察に、人の心はちょっと感動する。感動すると、説得力は増幅される。
以上を踏まえると、比喩力を適用する先として、後光が差す古典なんてものは結構いいものである。骨太で黒光りする論理を見つけてムンズと掴み取りたい。
さてまとめよう。
- 比喩力 = 元ネタ × 抽象・具体の往復運動力である
- 元ネタとして偉人や名著は有用である。理由は、後光と骨太さとギャップである。
- 古典を読んで黒光りするロジックを拝借しよう。
この、「目の前の卑近な例と偉人の洞察が、本質的には同じだと気づくと、人の心は大きく動く。比喩の元ネタとして偉人・名著は有効である」と言う理論を、
「黒光りドラッカー骨太ギャップ理論」と名づけることにする。