ウォール街のポジショントーカー

私、転職をしまして。

昔は結構高い給料をもらってました。20代最後の年は1500万円を越えていました。転職して、年収600万円ぐらいになる予定なんですけれども。

で、年収が高い時って、高収入サラリーマンへの搾取に憤っていました。税金やら何やらで3割は持っていかれるわ、保育料はめちゃ高いわ、児童手当は減額されるわで、ひどい有様でした。

私、それは不正義だと思ってました。こんな理屈です。

「お金=時間=命 なので、3割も取るってことは、俺の3割は国や地方の奴隷ってことか?不正義だ!自由はないのか!」とか、

「100万円年収が増えても手取りは50万円ぐらいしか増えない。こんなやる気をそぐシステムは社会的にも良くない!」

とか、イキり散らかしてました。さて、いざ転職して自分がその立場から外れることになると、劇的な心境の変化がありました。

高収入サラリーマンが搾取されてるとか、「ああ、マジでどうでもいいなぁ・・・」と思うようになりました。

冷静に考えると、そりゃ生活苦しいのは収入が少ない人たちだし、少子高齢化で国は苦しいだろうし、高齢者は政治的に強いし、どこから絞るかって言ったらそのゾーンだよなぁ…。まあしょうがないんじゃない?ぐらいの感じです。

この大幅な変わり身は僕自身も少し驚きました。ある程度、正当性があると思っていた理屈なのに、心の底からどうでもいいと思ったからです。

この経験を通して気付いたのは、「人間、理屈を色々つけてても、結局のところはポジショントークなんだな。自分が不利益を被って不満だから、理屈を後からつけて正義ぶるんだ」ってことです。私個人の経験をどこまで拡大解釈できるか?って話はありますが。

結局、フラットに、自分のポジションから離れて、正義を論じてる人ってほとんどいないんだろうなと思いました。みんな(少なくともかなりの人が)ポジショントーカーです。

余談ですが、政治哲学の分野で有名な、ロールズの「無知のヴェール」という考え方を思いだしました。

ざっくり言うと、どういう社会がいいか考える時は、自分の立場を全く知らないと仮定して考えよう、つまり、「ある社会の構成員に完全にランダムに異世界転生するとする。そうしたら、どういう社会がいいか?」と考えることで、本当にフラットな視点で、社会のあるべき姿を考えられるよ、という主張です。(大学生時代に読んだ、サンデル教授の“これからの「正義」の話をしよう”で初めて知りました。)

自分がポジショントーカーであることを強烈に体験した出来事でした。たまには僕も、無知のヴェールをかぶってみようかな、ということで。オチはないんですけれど。


Twitterやっています。よろしくお願いします。投資本の要約、育児日記をつけつつ、主にふざけています。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

正義に関する話は、上の本より下の方が面白いしわかりやすい。かなりお薦め。

正義の教室

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