実際に産まれるまで、自分の娘のかわいさは想像がつかなかった。
別に子どもなんていらないかな、と僕は昔思っていた。これは、僕にとっては、他人の子どもがかわいく思えないのが理由の一つだったと思う。「子どもって別にかわいくないでしょ」ぐらいに思っていた。
多分僕は、自分の娘のかわいさを想像するときに、「他人の子どものかわいさの3倍ぐらいかな?」→「他人の子どもはたいしてかわいくないよね」→「じゃあ自分の子どもも大してかわいくないよね」と推測していた。
でも実際は、自分の子どもはめちゃくちゃかわいいかった。自分の子のかわいさは、他人の子どもの〇倍、のように推測できるようなものじゃない。特別なものだと感じる。無理やり例えるなら、「(恋人の可愛さ – 不純な気持ち)×10倍」ぐらいの感じだ。うーん、かわいい。
実際、子育て中と恋愛中では、脳の状態が似ているらしい。ともに相手を信じるホルモン、オキシトシンが出ているとか。むしろ、進化の順序的には、子育て中の作用を、恋愛でも感じられる、という順番。
以下池谷裕二さんの”パパは脳研究者”より引用。
恋愛しているときの脳の活動を見ると、親が子どもに愛情を注いでいるときとそっくりです。
(中略)
ヒトになると「バグ(不具合)」が起こって、子ども以外の特定の相手にもオキシトシンが注がれてしまいます。オキシトシンの使いどころを間違えた標的ミスです。つまり、正しくは「恋愛はまるでわが子への愛情にそっくり」となるわけです。
ということで、「自分の子どものかわいさを想像するときに、他人の子どものかわいさを基準にするのではなく、恋人のかわいさ/いとおしさを基準にするべき」という主張は、あながち的外れではないように思う。
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奥さん「工学の何号持ってるんやっけ?」
僕「修士号」
奥さん「いま靴下履いてから足の爪切ろうとしたよね?」
僕「うん、間違えた」
奥さん「何号持ってるんやっけ?」
僕「工学の修士号」— ぶるいぬ@ベンチプレス100kg達成する (@blblinin) April 20, 2019
引用した本はこちら。