「技術を生むのは信念で、信念を生むのは洞察」なので、小手先の技術ではなく信念や洞察力を改善したほうが効果が高い。という気づきをメモしておく。
技術<信念
最近仕事をしていると、「色々な技術/テクニックを知ってる」みたいに思われることがある。※1
これまでも、僕は何人かの後輩に、色々な技術・テクニック・やり方みたいなものは、一生懸命教えてきたのだけれど、どうにもうまくいかない。教えようが教えまいが、できるやつはどんどんできるようになっていくし、そうじゃないやつはならない。どういうことなんだろう?と思うが、最近、技術よりも信念が大事なのでは、と思うようになった。
信念が様々な行動を生んで、それが技術につながる。個々の技術は、学ぼうと思ったらいくらでも学ぶ方法がある。
たとえばソフトウェア開発で、「持ってる武器でちゃちゃっとなんとかしようとするより、少し時間をかけてでも、深く理解したり、新しい武器を拾って使った方がいいよ」と言っても、多くの新人はそうしない。同じように、キレイなコードを書くことに心を砕いた方が、トータルではソフト開発はうまく回るよ、といくら言っても、汚いコードをサクッと書こうとする人も多い。
なぜそうしないのかというと、信念がそうさせるのではと思った。
結局はアドバイスを聞き入れない人は、「手元の武器で殴った方が早い」と信じているのだ。だから、上記のようなアドバイスも、「めんどうだけどやったほうがいいこと」ぐらいにしか思わない。
僕は色々と痛い目を見て、「急がば回れ」みたいな信念があって、深い理解や適切な技術の習得に心を砕いた方が、結局は効率的だと思っている。
つまり、「技術<信念」なのだと思う。人は、信念に反することはできないし、逆に信念があれば、ことあるごとに適切な技術習得の機会が自然とやってきて、技術が向上していく。
であれば、100ある技術を手直しして回るより、1つの適切な信念を植え付けるほうが、色々なところで自発的な技術を獲得する行動につながって、よっぽど効率よく成長するのでは、と思った。
信念<洞察
もう一段話を進めると、その信念はどこからくるのだろう?となる。これは、洞察からくるのではないか。
経験や思考や助言を通して、「ソフトウェアの技術力は、加速度的に上昇する」とか「あそびが能力を向上させる」みたいな洞察を得る。すると、「急がば回れ」だな、という信念が生まれて、それに基づいた行動が技術を底上げする。
つまり、技術の源は信念で、信念の源は洞察。
洞察力があると、適切な信念が沢山生まれる。そしてそれが数えきれないほどの技術を生む。技術の時間1回微分が信念で、2回微分が洞察力。
このフレームワークに基づいて考えると、以前、「成果とその速度と加速度」という記事で、成果の1回微分、2回微分という話をしたが、信念が1回微分、洞察が2回微分に相当しているとも言えそうだ。
他にも、企業風土が競争力の源泉、みたいなのは、創業者の洞察によってつくられた組織文化が、信念として社員にインストールされて、技術力を向上させる、みたいにも捉えられそう。
育成
とまあ以上のような「洞察」がありました。これに基づいて、効率的な人材育成方法について考えられるだろうか。
まず、小手先の技術をどんどん教えても、根っこの信念が曲がってると、結局身につかないよね、というのは言えそうに思う。また、コケないようにと、必死におぜん立てして走ってもらうと、それは痛い目に合わないことにつながって、失敗体験を奪ってしまう。実感がなくて腹落ちせず、信念につながらない可能性もありそうに思う。
洞察にせよ信念にせよ、一種の身体性というか、体感・体験・実感、みたいなものは不可欠なように思う。洞察だって、自分で見つけたから強い信念になるわけで、ここにも身体性というか主体性がありそうだ。
無理に水を与えて伸ばそうとしても無理なのかもしれない。体で覚えてもらって、その体験にラベル付けするのを手伝ってあげる、うまいやり方を見せて信念を作る手助けをする、ぐらいのことしかできないのかなぁ、とか思った。以上。
※1:あくまで相対的なものであり、世間一般から見て私の技術が高いことは意味しない