「おなかへらないね」妻はそう言った。

「おなかへらないね」

ぽつりと、妻の一言。僕は耳を疑った。さも当たり前かのように妻は言ったが、これはとんでもないことを言っている。熱力学を学んだことがある僕は、事の重大さを一瞬で理解した。

「おなかへらないね」

つまり、私は食べなくても動くことができる、エネルギーなしに動き続けるシステムだと言うことだ。つまり、「永久機関が完成した」。歴史的偉業の発表にしては、何の気なしに明るく言い放ったが、妻が言ったのはそういう意味だった。

「お昼ごはん遅かったから、全然おなかへらない」

数多くの科学者、発明家が挑戦しては、未だ作ることができていない永久機関。そんな前人未到の発明を、ここヨドバシ梅田の2Fで、昼の15時ごろ、妻は不意に成し遂げてしまった。永久機関とは、外からエネルギーを得る事なく、永久に仕事をすることができるシステムのことだ。これが実現すれば、エネルギー問題などなくなり、世界のエネルギーにまつわるパワーバランスが一気に変わる。そんな永久機関に、僕の妻はなってしまった。思いもよらない「お昼ごはんを遅くとると、まったくお腹が減らない」という、めまいがするほど簡単な方法で。熱力学を、友人のレポートを写経するという方法で学んだ僕には、永久機関が、熱力学第1法則だか第2法則だか、何番目の法則を打ち破る存在なのか、明確に指摘できないのが残念だが、とにかくそれが困難なこと、イノベーションであることはわかった。

「おなかへらないなら、晩御飯食べずに帰る?」

永久機関と化した妻に、僕はおそるおそる小声で聞いた。もし大きな声で聞いてしまえば、誰かに聞かれてしまうかもしれない。もし、聞かれてはいけない人に聞かれたら、もう会えないかもしれない。政府に知られでもしたら、エネルギー問題の解決のためと称して妻は連れ去られ、研究対象といえば聞こえがいいが、ある程度の残虐性を持った調査をされてもおかしくない。僕は小声で聞き、妻の返答を待った。唾をゆっくりと飲み込む音が、頭蓋骨を通して響く。妻の答えはこうだった。

「でも、帰る前に何か甘いもの食べたい」

妻は全然永久機関じゃなかった。

「エネルギーいるんかい!」

僕は叫んだ。妻はきょとんとした後、おすすめのエネルギー屋さんへ、僕を連れて行った。

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