吾輩は子ライオンであった。崖から突き落とされた。 何度も登っては突き落とされた。そして吾輩は死んだ。
"獅子は我が子を先人の谷に突き落とす"と言うが、人材育成として、それは効果的な育成方法なのだろうか?
10年ぐらい前、吾輩は就職し、仕事を始めた。 ある程度経験を積んだ今振り返ると、「それは無茶ぶりにもほどがある」というような仕事の振り方をされたように思う。 本人が手が届く場所から遠く離れすぎたゴールを置かれ、「這い上がってこい」という教えられ方をした。目の前の仕事をこなす能力があまりにも不足していたためか、僕はパニックに陥り、焦り、理解を着実に積むこともなく、背伸びした努力はギアがかみ合わず、多大なストレスを感じた。その結果、結構遠回りをしたようにも思う。
そうした経験を経て僕は、
「人材育成をする場合、"高すぎるゴール"を設定するより、もっと、本人の能力にあった、"一歩,二歩先のゴール"を設定した方が、効率よくスキルが伸びるのではないか?」
という考えに至った。 つまり、"獅子は我が子を先人の谷に突き落とす"と言うが、"目の前の、蝶々の狩り方をまず教える"の方がよいのでは?という考えである。
さて、あれから時間が立ち、僕も人材を育成する側に立った。僕は後輩に、"一歩、二歩先のゴール"を設定し、優しく丁寧に教えている。
体感でしかないが、確かにスキルの伸びはこの方が良いと感じる。しかし、この教え方では、何か大事なことが欠落しているように感じてきた。
何が欠けているのだろう?と考えてきた結果、一つの結論にたどり着いた。 それは、「一歩先のゴールを示す場合、その人間の価値観、マインドセットに対して、変化を与えづらい」というものだ。
"蝶々の狩り方を教えればスキルが身につくが、価値観は変わらない"ということだ。
到底達成できないような仕事を、「これくらいやれて当然でしょう」という顔で、上司が振ってくる。 すると、やらされた側は「このままではまずい」「もっとやらなければ」「これができて当たり前なんだ」などと、価値観、マインドセットが変わる。確かに、目の前の仕事に対してはパニックで、スキルが効率的に向上しないかもしれない。しかし、投入する努力の量が自然と上がるし、自走する方向に圧力が働く。
では逆に、一歩先にあるゴールを、指導者が丁寧に指し示す場合、ちょうどよい課題を通じて、効率的に理解/体感が進み、成功体験を積めて、自己効力感とスキルが身につく。一方で、「まあこんなもんだよな」「おれは十分やれている」などの感覚に陥って、価値観 / マインドセットは変わりづらいような気がする。
いや、一歩先を示してスキルを伸ばしながら、何か他の施策を組み合わせて、価値観やマインドセットを変える、、という高度な育成もできるのかもしれない。今の僕にはどうやればいいのか分からないが・・・。
価値観やマインドセットが実はすべてだと思う。 それらが様々な行動を促し、スキルを生むのだとしたら、価値観やマインドセットを揺さぶり変化を促すために、谷に突き落とすのも一定の合理性があるのかもしれない、と思った。
つまり、"獅子は我が子を先人の谷に突き落とし、基準を叩き込む"のかもしれない。 「お前なら、これくらいできて、当たり前ガオォ~?」と。