解けない問題を解こうとしない

解けない問題を解こうと検討/論評/批評して、仕事した気になるのは、はっきり言って害悪でしかない。

哀しいかな、会社の一労働者として働いていると、「自分には解けない問題」というものに沢山出くわす。

「あそこの部署が・・・」「社長が・・・」「こういう制度にしたらいいのに」みたいな論評、批評、恨み節、は、いろいろなところから聞こえてくる。

最近気づいたのだけれど、こうやって、解けない問題を解こうとして、いや、「解こうとしているフリをして」、うんうんああだこうだ言っているのは害悪でしかない。

そうやって唸ってる間に時間は過ぎていく。その分、解ける問題に使える時間は減っていく。

もっと言えば、そうやって唸っていると、「なんだか仕事をした気分」「オレって/私って賢い」みたいな気分になってくる。謎の優越感が身体中に満ちていくのだが、これはなんの成果にも繋がらない。そして、「オレは/私は悪くないのに、会社が/あいつが/上司が悪い」となって、思考停止に至る。

害悪でしかない。

小さな小さな問題でもいいから、解けることに時間と頭を使って”解いた”方が、まだマシなんだろうな、と最近思う。解けない問題を解こうとし続けていると、解ける問題を解くための時間と気力と能力が失われていくのだ。偉そうにしていると、どんどん何もできない人間になっていく。

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