「同志少女よ敵を撃て」という本をAudibleで聴きました。
やっぱり本屋大賞とか、何かしらの賞を取ってる本はとりあえず読んでみるといいですね。面白かった。
第二次世界大戦の時に、ソ連軍には女性スナイパーがいたそうです。この本は彼女たちの物語でした。
この話の中にも出てくるリュドミラ・パヴリチェンコは実在の人物で、309以上は敵を倒している伝説的な狙撃手らしくて、回想録も出ています。「最強の女性狙撃手」という本で、これは今読んでる。
同志少女よ敵を撃て、の中で、一番印象に残ったのは「動機を階層化しろ」という言葉です。
この言葉は、主人公の若手女性狙撃手たちの教官であるイリーナの言葉(かつ作中ではリュドミラも同じことを言っている)です。狙撃の心得を座学で学ぶシーンでの言葉。以下引用します。
ただ一度、「なぜ赤軍は戦うか?」と言う議題の最中、次々と生徒たちが自らの思う動機を語り始めた時、イリーナはそれを遮って、訓示めいた口調でこう言った。「個々の思いを否定はしないが、その気持ちで狙撃に向かえば死ぬ。動機を階層化しろ。」イリーナによれば、侵略者を倒せなど、ファシストを駆逐しろ、などの動機は大事ではあるが、ここの心中にとどめておき、戦場に行くまでの動機の起点とすべきものなのだ。「いざ戦地に赴き敵を撃つとき、お前たちは何も思うな。何も考えるな。考えるなと考えてはいけない。ただ純粋に技術に身を置き、何も感じずに敵を撃て。そして起点へと戻ってこい。侵略者を倒し、ファシストを駆逐するために戦っているという意識へ」
僕はダーツをやっていたので、ほーんのちょっとだけこの気持ちがわかります。
ダーツを投げる瞬間、「これを入れたら勝ち」とか「コイツに勝ちたい」とか、邪念があると大体入りません。勝つとか○点をとるとか、そういう動機は、努力の原動力になる非常に大事なものですが、この瞬間、ゲームの瞬間には邪念でしかありません。投げる瞬間には、上位の階層の動機は「階層化」して考えず、その下位の目的「ターゲットに入れる」に集中するべきだったりします。
ダーツに限らず、下位の目的の実現に、上位の目的に対する動機への思いが邪魔になるというケースはよくあります。
何かを成し遂げようとするときに、それが大きければ大きいほど、問題を分解して、一つずつ解決することが求めらますが(少なくともそう信じていますが)、分解した一つ一つの実行に、上位目的に対する思いが混線するのは避けるべきだな、と思ったりします。