見切り発車FIRE不幸せ民を救いたい

SNS上で、どうにも人生楽しくなさそうに過ごしている、FIREした人(金貯めて早く仕事辞めてみましたという人)を見ていると、「人間ってみんなが思っているほどには強くないのでは?」と思う。

大多数の人間は、強制されてかろうじて、人としての形を保てるんじゃないか。

何かに強制されずに、「何をしてもいいですよ」と放り出されると、何をしたいか、自分で考える必要がある。今まで会社や家族や親や誰かが与えてくれた、「これをやるといいですよ」という問題設定を、自分でやる必要がある。練習してないとこれができない。そして、もし何をしたいか思いついたとしても、それを実行する能力や社会的関係が必要になる(友人,家族etc)。「お金を貯める」だけに人生を全振りしてきた人間に、そんなものはないことが、残念ながら多い。

束縛されない自由な状態で、楽しく生きるのは、実は難しいのではないか。やりたいことを発見し、実行する能力がない人間は、むしろ誰かに何かを強制されている方が幸せなのかもしれない。

会社に強制されたり、職場の人間関係だったり、家族や親戚のつながりだったり、地元のコミュニティのつながりだったり、いろんなつながりの中で、強制されたり支えられることで、多くの人は、ぎりぎり人間的な生活を営んでいるんじゃないか。

FIREというと、経済的な自立だけに目が向いて、お金以外の資産を軽視しがちだったりする。経験、パートナー、家族、趣味、無駄遣い、社会的関係、教養、趣味、などなど。広義の「資産」をことごとく打ち捨てて、お金だけにフォーカスして「資産」を築いてきた人間が、楽しく生きていけるほどこの世の中は簡単じゃないのかもしれない。

経済的な自立は、幸せの十分条件ではない。経済的に自立した先に、幸せがあるかどうか?幸せに生きる能力や”資産”があるか、考えないといけないのだろう。そしてもっと言えば、経済的自立は、必要条件ですらない。娘のために、必死に働かないといけないお父さんは、それ自体に幸せを感じるかもしれない。まあ当たり前なのだけど、手段の目的化が起きると、この辺りも見えなくなってしまう。

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