強制は価値である

退屈だ。のんびり働くことは退屈である。正直、生きてる気がしない。


僕はハードワークな会社でキャリアの序盤を過ごしたが、心身ともに限界を迎え、ドロップアウトした人間である。

今の僕は、朝起きて、散歩して、のんびりと保育園の送り迎えをして、のんびりと働き、帰ってきて娘と風呂に入るパッパである。パッパ、とっと、である。

娘たちを寝かしつけた後、ふと、僕は若かりし頃を思い出す。無理矢理ケツを叩かれて働かされていたあの頃をハイボール片手に思い出す。

正直、「しんどかった、もう二度と経験したくない」と思う。

だがそれと同時に「アレはアレで、ものすごく価値があったな・・・」と言う気持ちもある。しみじみとグラスを傾けながら感じる。

実際、もう一度学生時代に戻って就職活動をするとしても、同じ道を選ぶと思う。

無理矢理何かをやらされる、と言うのは価値が高い。

強制は価値である。自由でヌルい今の世の中、その価値は上昇し続けている。

無理矢理何かをやらされると、自分一人だと辿り着けないところまで、無理矢理連れていかれる。

人と世を恨んで、泣きながら強制されて、吐きながら取り組んで、それでも足りなくて、反省して落ち込んで、を繰り返す。数年して気づいたら、それまでの自分だったら見えなかった景色が見えるようになっている。

「一人だと絶対ここまでこれなかったな」と、しみじみ思うのである。

まあ、これは、僕が死なず壊れずに戻ってこれたから言える言葉ではあるが。。(壊れていない、と言うのは自分で判定しているだけで、何か壊れているのかも知れない)

「石の上にも三年」と言う言葉がある。

が、現代は、石の上に座っていると

「どう?大丈夫そ?」

「しんどかったら石、降りてもいいんだよ」

「石の上は相当痛いでしょ、無理しないで」

「あっちに座布団があるよ」

「ダメになるソファの上で秒速で億を稼ぐ」

「ワ!ワ!ワァ!石の上に座りすぎて、足の皮擦りむいてるジャン!」


などと、よってたかって言われる時代である。

コンプラ・・・ハラハラハラスメント・・・甘い誘惑。石の上に座り続けることが困難な時代である。甘々の声に囲まれて,それでもなお厳しい道を歩み続けることは,普通の人間には難しい。

なぜ、厳しく食事を管理されて、食事の報告義務があり、わざわざ自由を束縛されて「強制」されるライザップに、いい歳した大人が大金を払うのか?

強制は価値だからである。

強制力から解放されて思う。無理矢理追い込んでくれるトレーナーどころか、重りすらないトレーニングジムで、ひたすら自重トレーニングをしているのが今の僕である。

とはいえ、家庭もあり、娘はかわいいし、育児もある。のんびりと本を読みながら、のんびりと働くしかない時期なのだろうか。負荷をかけず、萎んでいく筋肉を眺めながら、怯えているマッチョのようだ。怯え続けるのか、トレーニングを再開するのか。それとも、失われる筋肉に思い悩むのはやめて、今のこの幸せを楽しんでいいのだろうか

贅沢だが切実な危機が目の前に横たわっている。

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