ご指導ご鞭撻ご馳走様

まだ僕が若手だった頃、先輩方に厳しめのお言葉で色々とご指導いただいた。

「自分の意見を持て。もたないなら仕事をしてないのと同じ」
「言われたことしかやらない作業者はいらない」
「やる気とかモチベーションに頼るな、仕事だからやるのが当たり前」
「プライドに見合う成果が出せなくて死にそうならいちど死ねば良い、死ねば楽になる(意訳)」
などなどの、姿勢、マインドに対する厳しめのお言葉を頂いたけど、あれ大事だったんだろうなと思う。

やっぱり働き出して最初の頃は、当たり前のレベルが低かった。ここまでやるのが当たり前、というプロ意識みたいなものしょぼい。根っこのマインドをたたき直してもらった。“能力は習慣の積分、習慣は行動の積分”(エンジニアリング組織論より)という言葉があるが、根っこのマインドの部分をたたき直してもらうことで、行動が変わり、習慣が変わり、能力が変わる、という話なのだろう。

歳をとると、他人から厳しいことを言われにくくなる。誰も言ってくれない、言われても受け入れられない、みたいになってくる。そこそこ歳をとって、「俺はそこそこできるでしょう」みたいなプライドができてきた人間に対して、上記のような言葉を投げかけても、結局反発されるだけで意味がない。能力も伸びない。もう手遅れである。

人間のマインドの可塑性、みたいなことを考えると、若い頃にバチバチに言葉で殴り倒されて矯正されるのも大事なんじゃないかと思う。しかし時は大ダイバーシティ時代。今だったら下手したらパワハラ扱いである。

まあ僕はその強いマインドで行ききれなかった人間なので、何も偉そうに言えることなんてないのだけれど。僕も家庭を持ち、大した成果も出せず、サラリーマンとしてぬるぬると生きている。心に傷を負った帰還兵みたいに、緩やかな平和の中で居心地悪く、ダラダラと生きている。昔ショーペンハウアーという人が「人間の幸福の敵は、苦痛と退屈である。」と言ったらしいが、確かに僕も、苦痛と退屈の間をゆるゆると揺れ動いているような気がする。

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