「嘘だろ…?いや、そんなはずは…」
僕はまだ信じられないでいた。しかし、自分の記憶をたどりにたどって、たどり着いた結論は、やはり変わらなかった。
「本当だ…僕は、陰気なマッチョを見たことがない…」
仮説が確信に変わったその瞬間、僕は駆け出していた。じっとなんかしてられなかった。10分後には、3週間ぶりに近所のジムにいた。
僕は、精神的に疲れていて、最近はジムにも来れてなかった。
仕事のプレッシャー、何もできないもどかしさ、そこからくる自己肯定感の低さ。負のループ。
これまでの無理がたたってか、すべての歯車が粉々に砕け散っていた。何もかもうまく回らなくなっていた。体は不調をきたし、酒にも溺れ、日々落ち込んで過ごしていた。
当然、そんな状態で仕事は何ともならず、最終的には仕事の負荷を下げてもらった。
しばらくの休養を取った後、僕は、ストレスとの付き合い方、精神的にタフであるにはどうしたらよいかを調べ始めた。色々な本を読み漁りつつも、しっくりこない日々が続いていた。「どうしたら楽しく、前向きに生きられるのだろうか」「明るい人と、暗い人は何が違うのだろう?」そんなことを考えていた。そしてある日、僕は、あの本を読んだ。とある仮説が頭に浮かんだ。
ここで話は冒頭に戻る。
「嘘だろ…?いや、そんなはずは…」
僕はまだ信じられないでいた。しかし、自分の記憶をたどりにたどって、たどり着いた結論は、やはり変わらなかった。
「本当だ…僕は、陰気なマッチョを見たことがない…」
この世の中には、陰気なマッチョが存在しない、という真理に、僕は気づいてしまった。思い返すと、僕が出会ったマッチョたちは、全員陽気で前向きだったのだ。
「ストレスに強くなるために、頭でっかちな理論なんていらない。」
「陽気に人生を楽しむには、マッチョになるしかない。」
「何が “スタンフォードのストレスを力に変える教科書” だ。力が先だろ!」
「仕事の負荷を下げて、筋トレの負荷を上げよう。」
そして僕はジムで、筋トレに励んでいた。
念のため、他の人の意見も聞いてみよう。筋トレのインターバルの間に、知り合いのマッチョにLINEを送る。
「陰気なマッチョって見たことある?」
送信した後、インターバルの終了を告げるアラームの音が響く。iPhoneをダンベルに持ち替え、僕はもう1セット、大胸筋を追い込む。次のインターバルには、もうマッチョから返信があった。
「見たことないっスね!」
QED。証明終了だ!
なんと陽気な文面だろうか。この返信自体が、仮説を証明している。しかも、マッチョにまみれたマッチョですら、陰気なマッチョを見たことないなんて。
さて、ここまで読んだ君は、こう反論するかもしれない。
「因果関係が逆なんじゃない?」
「筋トレすると陽気になるんじゃなくて、陽気だから筋トレできるんじゃない?」
細かい論理を言いたくなる気持ちも分かる。でも僕はこう反論する。
「一つ言えることがある。そう言う君は、確実に筋トレをしていない。」
「大丈夫。筋トレしたら、そんな細かいことは気にならなくなる。」
2か月間、真剣に筋トレしてみて分かったのだけれど、確実に体と心はつながっている。体を動かすと、なんだかヤバい物質が脳から出て、なんだかヤバいぐらい精神が向上する。なんだかすごくヤバいんだ。(語彙がヤバめなのは、筋トレ後なので、細かいことがどうでもよくなっているからだ。筋トレヤバい。)
そう、筋トレをしても、筋肉はすぐにはつかないが、精神は結構すぐ回復するのだ。
ということで、みんなも筋トレしよう。今すぐジムに行こう。
まだ悩んでる?じゃあこの本を読もう。
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梅田で外国人に「〇〇にいきたい」と道を聞かれたら、残念そうな顔をして首を横に振り、「インポッシブル…ウメダイズメイズ…グッドラック…」とだけ言って去ることにしている。#梅田ダンジョン
— ぶるいぬ (@blblinin) April 12, 2018