俺の名言を聞いてくれ

歩く名言製造機とは僕のことである。

最近は、自分が見つけた法則、経験則、知見を、書き溜めに溜め続けている。そのせいか、名言が口から脳から鼻から耳から、穴という穴から滲み出て、溢れ出してくる。

僕は、日々を生きて経験することの中から、「これって結局どういうこと?」を考えて、短いフレーズで書き残している。例えばこんな感じである。

  • 解決できない正論にこだわるのは有害
  • 当たって砕けろでなく砕けない当たり方を考えろ
  • マネージャーの仕事は意思決定、その場で決めきれ
  • 三流が集まる場所で一流を目指して二流の仕事をすれば食っていける

恥ずかしながら、この調子で書き溜めたオレオレ名言が100以上ある。気持ちよくて仕方がない。僕は名言製造機だ、ウオオォン。

でも、僕は知っている。これらの言葉のどれも、この文章を読んでいるあなたには全く響かないことを

最近気づいたのだ。これを名言だと思っているのは、この名言を考えた僕だけなのだ。

僕は、後輩からアドバイスを求められれば、狂ったようにアドバイスを吐き続ける。いや、求められなくても吐き続ける、相手がやめてくれ、なんでもするから、もうLINEを送りつけるのはやめてくれ、と哀願するまで、開示請求を喰らうまで名言を吐き続ける。送りつけ続ける。なぜなら、名言を見つけた興奮に突き動かされているからだ。

「どうだ、これは名言で本質を突いた恐ろしい洞察だろう」というドヤり、したり顔、にやけ顔で、僕は”名言”を吐き続ける。でも、聞いている人には全く響いていない。悲しいかな、冷静に観察するとわかるのだ。あのスン・・・とした目を、顔を、、。明らかに響いていない。

そう、結局、誰かの名言だったり、洞察というものは、大して響かないのだ。経験してきたこと、思考回路、背景、前提、困りごと、人によって全てが違う。全てが自分とは違う、誰か知らない奴の”名言”なんて、自分には何も響かないのだ。

でも、僕が作った名言は、僕にとっては名言だ

なぜなら、経験してきたこと、思考回路、背景、前提、困りごと、人によって全てが、僕と同じだからだ。僕が悩んで、苦しんで、考えて、違うと思って消して、言葉を変えて、考え抜いて、短く、キャッチーに、より鋭く、より本質に、と悩み抜いて見出した洞察や、本質らしきもの、は、まさしく僕の、僕による、僕のための名言だ。僕に響かないはずがないのだ。

僕が名言を作るたびに、その名言は僕の芯に響く。僕の悩みを解決し、僕のこれからの人生に生きる。

名言は聞くものでなく、自分で作るもの」と、今メモをした。

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