あそびがないとのびない話

のびるにはあそびがいるなぁ…という当たり前の話をする。

そのために、いきなりだが、アリの話をする。

アリのフェロモンの話

アリは、餌を見つけると、興奮しちゃうのか、フェロモンを出しながら巣穴に戻るらしい。

このフェロモンは地面にこびりつく。他のアリを引き寄せる。彼らはフェロモンをたどって餌にたどり着く。そして先人が出したフェロモンをたどって巣穴に戻るらしい。そしてこのフェロモンは揮発性で、時間が経つと消えてしまうらしい。

1匹が餌を見つけると、フェロモンを出しながらフラフラと帰る。それは他のアリを引き寄せて、エサへと導く。アリ達は行列になり、先人のフェロモンを辿って、巣までエサを運ぶ。彼らもフェロモンを出すので、この道には、フェロモンがどんどん強く残っていく。

こんな感じで、アリたちは統率を取ってエサを運ぶらしい。ただ、一つ問題があって、この最初に見つけたルートが非効率だと、ずっとアリ達はこのルートを通ってしまう。

これだとずっと非効率なままだ。ただ、それはアリが全員まじめだった場合の話である。

実際は、アリにもあそび人がいるらしい。あそび人のアリは、フェロモンを無視する。彼らはフラフラと歩き、餌を見つけたらフラフラと適当に巣穴に帰る。遠回りのこともあるだろうが、たまにはより近いルートを見つけるかもしれない。

すると、二本のフェロモンの道ができる。どちらの道を通るか?というと、最短距離の方がフェロモンが揮発しづらいので、徐々にそちらのルートが優勢になっていくらしい。遠いルートのフェロモンは、揮発して消えていくのだ。

こうやってアリたちは、エサを運ぶルートを確保しながら、よりよいルートを探し求めるらしい。ガチガチの真面目だけではシステムは非効率なままだが、そこにあそび、ランダム性を入れて、それを伸ばせば、システムは効率的になっていく。

この話は池谷裕二さんの ”単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)“で知った。(すごくお勧めの本である)

チームのあそびの話

ここで人間の世界に戻る。

会社に二人の上司がいたとする。一人は、厳しく部下を指導して、自分のやり方でやらせて、期限を守らせようとする鬼上司。もう一人は、部下に自由にやらせて、なんの管理もしない放任上司。

鬼上司は、ダメな部下もある程度引き上げることはできるかもしれないが、チームの上限が自分の力量で決まってしまう。つまり、その上司が成長しない限り、チームとしてのアウトプットが頭打ちになってしまう。

放任上司は、部下が色々と自由に試して、たまにうまくいくし、たまにはうまくいかないだろう。ただ、何の関与もしなければ、「たまにうまくいくが、たまにうまくいかない」という程度で、こちらもチームのアウトプットは偶然任せのままになりそう。

マネジメントとしてちょうどいい塩梅なのは、両者の間のように思う。ある程度のコントロールをして、やり方を示すが、部下にも自由に試す自由、失敗する自由を与える。そしてその中で、偶然でもうまくいったら、チーム全体をそちらに寄せていく。

メインのルートは保ちながら、あそびを持たして、進化する余地を残しておく。

個人のあそびの話

僕の仕事の話。

キャリアの初めの頃、プレッシャーがかかる中で仕事をしていたが、いかんせん能力がなかった。能力がないわりに急ぐ必要があったので、「持てる武器で必死に戦う」みたいなことをしていた。持っているこん棒を振り回して、はがねのつるぎを手に入れにいく余裕がなかった。まさに木こりのジレンマ、というヤツだったと思う。

当時上司に、「技術を楽しむのを覚えてほしい」「好奇心を持って」みたいに言われたのを覚えている。とはいえそんな余裕は与えてくれなかった気もするが。

最近の僕は、わりとプレッシャーがない状況で、あそびを持って仕事をしている。あえてちょっと知らないやり方をためしてみたり、ちょっと無駄かもしれないけど、新しい技術を使ってやってみたり。無駄になる事も多いのだけれど、ちょっと後でその技がまた使えたりする。つまり、最低限、本業をこなしながら、あそびを入れているのだが、割と能力的には伸びているように感じる。

技術者は好奇心がないとのびない、という気が今ではしている。

元同僚のあそびの話

前の職場の同僚と話す機会があった。彼が言うには、

「のんびりしながら働くのもあこがれるので、転職も考えるんだけど、転職したら収入も下がりそうだし、結局はリスクとって今の状況を捨てるほどではないんだよなぁ」

とのことだった。この気持ちは僕もよく分かる。もしかしたら、ちょっと遠回りした先に、もっとよい暮らしがあるのかもしれないけれど、そこを試してみるあそびがない。今の最適をとると、現状維持になる、と言う話だ。

このケースは割と難しくて、本線を保ちながら別のトライが、今の雇用形態だと難しい、と言う話だ。

アリのケースでたとえるなら、「今かなり短いルートが見つかっているのに、一旦それをすべて捨てて、ゼロから餌探しをするか、そのままやるか」みたいな意思決定になる。

できたら、本線をキープしながら、あそびをいれたいのだけれど。本業をしながら、副業を試してみて…というのはそれに近いのかもしれない。

僕は、こんな戦略的なことを考える余裕もなく、疲弊して仕事を辞めた身になる。これは、あえて前向きに、大局的に見ると、「数十年続く職業人生の中で、ひとまず少しの間、本線から外れてあそびを入れている時期」とも見れなくもない。これもあそびなのかもしれない。

ゲームのあそびの話

麻雀をやっていたころに思ったのだけれど、ここもあそびがいる。

自分なりの戦法、というのが定まってきたときに、それを極めようとしても割とどこかで頭打ちになる。

そこで、あえて今の自分とは極端に違う打ち方を試してみる。鳴いてばかりだったら、全然鳴かないようにしてみるとか、読みを重視してなかったら、読みに全力を注ぐとか。スタイルに振れ幅を加えるのである。

すると、今まで軽視していたものの中に、部分的にでも使えるものが分かったり、誤解が解けたり、見える世界が広がったりする。そういうところからエッセンスを抜き出して、自分のスタイルに反映させていく。

プロゲーマーの梅原大吾さんの勝ち続ける意志力でも、あえて弱キャラを極めようとしてみたり、短期的な勝ちを捨てても試すことで、勝つではなく勝ち続ける、を目指す、みたいなことを言っていた。近いものがある気もする。

ランダム性×拾い上げる

ということで、一言でいうと「あそびがないとのびない」。

もう少し長く言うと、「少しはあそびを持つ / ランダムに試す / いいものを残す、でのびる」という話だ。

これは言ってしまうと、最適化とか、探索の問題で、よく言われる話だとは思う。

ベタな話ではあるが、個人的に実生活の中で、まさにこれだ、という事例が色々と目に入ったので、「ああ確かに世の中そうなってるなぁ」と腹落ちしたので書き下した。

アリの話、探索・最適化の話、チームのマネジメント、きこりのジレンマ、個人のスキルアップ、エンジニアの好奇心、みたいなキーワードが、すべてこの「あそびがないとのびない」というので説明できそうなので、すっきりしたのである。

特に、チームのマネジメントとか、「面倒見よく全部コントロールしようとする」というスタイルの上司が、しっかりしてるように見えて、むしろ害悪な時もある。むしろ、自由にやらせて、うまく言ったやつを評価さえできて、それを褒められる上司の方がよいんじゃね?みたいな気づきもあって、個人的には面白かった。

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