僕も君も、不自由な、ボールで箱で、システムだ

みんな「思考」とか「意思」とか「私」とかを、過信しすぎなんじゃないか?と思っている。

僕は、自分の意思というのをあまり信じていない。

何かを一生懸命考えているとする。そんなとき「自分は自分の意思で考えているぞ」と、自分は自由な主体だと思いがちなんだけど、実は僕らは、過去に積み重ねられた経験の蓄積を使って、単に刺激に反応しているだけなんじゃないか?と思ったりする。

キューに突かれたビリヤードのボールが動き回っているところを想像してみてほしい。この時、ボールに意思はなく、ただ自然の法則に従っているだけだ。僕も原子というボールでできているのなら、最初にある速度で動きだしたら、あとは法則に従って動いているだけなんじゃないかと思ったりするのだ。

大学生の頃、読んだ本の中に「脳のなかの幽霊」という脳科学の本があった。

この本の中に、盲目だが、物をつかめたり、目の前にかざされた物が何か言い当てられる人が出てくる。脳に損傷を受けた影響で、本人の意識的には「見えない」のだが、体は勝手に動けて、差し出された鉛筆を掴めるし、それが鉛筆だと分かるのだ。

こんな調子でこの本では、色んな脳に関わる事例が出てくるのだけれど、それらを見ていると、いかに人間において、無意識が支配する領域が大きいか?ということが分かる。僕らは、自分の意識で全てをコントロールしているように錯覚してしまいがちだけれど、それは誤った”意識”観だと思っている。

自分は無意識にただ反応しているだけで、それを後付けで「意識的にやった」と考えているのだとしたら、僕らはどこにでも行けない、不自由な存在なんだろうか。

この辺になると良く分からないのだけれど、少なくとも、「同じインプットからは、同じアウトプットしか生まれない」と思っていて、そういう意味では自由でもあるし、不自由なんだと思う。

つまり、僕らはシステム、言ってしまえばただの箱で、何かインプットを入れたら、アウトプットが出てくる。だから、いつも同じような仕事をして、同じようにご飯を食べてと、同じようなインプットを入れたら、同じようなことしか考えられなくなるのだ。

僕が色々と本を読む理由はここにあって、せめてでもインプットを変えて、僕というシステムが停滞するのを防ぎたいと思っているのだ。

対した話じゃなかったけど、これで終わり。おすすめの本でも貼っておこう。

脳のなかの幽霊 (角川文庫)

「脳のなかの幽霊」は、僕が大学生の頃、人生に絶望してまともに大学に行ってなくて、教授に呼び出されて、そこでおすすめされた本だ。その状況もあってか、人生を変えた本でもある。知的好奇心が残っていることや、この記事のような世界観を持つきっかけになった。

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)

この本も、その時に一緒におすすめされた本だ。高校生向けで読みやすい。池谷裕二さんの本は全般読みやすいし好きだ。大体全部読んでいる。

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