2年前、居酒屋で上司は言った。
「限界を思いっきり越える負荷をかけるんだよ。ヘロヘロになる。でも次同じような仕事でも耐えられるようになる。それを繰り返して強くなっていくんだよ。」
それを聞いて僕は「こいつ、ドラゴンボールの読みすぎじゃねぇのか」と思ったが、その言葉はビールと一緒に喉の奥に流し込んだ。
そして現在、限界を思いっきり越える負荷を、何度も掛けて頂いた結果、ヘロヘロになった僕は退職した。別に恨んでいるとかはない。単に僕がただの地球人だっただけだ。
今となって思うけれど、「限界を越える負荷を乗り越えて成長する」という上司のドラゴンボール理論は、生存バイアスなんじゃないか?と思う。つまり、生き残った奴しか目に入らないのだ。限界を越える負荷をかけて、潰れた奴は去っていくのだ。もともと強い奴だけが生き残る。その結果、「負荷を乗り越えて強くなった(ように見える)集団」が出来上がる。そして、「負荷をかけたから強くなった」と勘違いする。違う、弱い奴が消えただけなのだ。
こういう事情を考えると、成功した人間が言う、「限界を越える状況に身を置け」というアドバイスは、80%オフぐらいのブラックフライデー感覚で、割り引いて聞くのがよいのではと思う。限界をはるかに越える状況に身を置いて潰れて行った人間の言葉は、僕たちには届かないのだ。というか彼らの言葉は、成功者の言葉ではなく、単なる落伍者のTwitter上の愚痴、ぐらいにしかならないのだ。(この記事もその一つである)
いや、まあ、正直言うと、ぬるま湯でのんびり過ごすのではなく、自分の限界を少し超えたところで、ストレッチしていくのは、成長の基本で、大事とは思うのだけれど、加減があるし、やり方には気を付けないといけないと思う。
コンフォートゾーンという概念がある。安心感があり、居心地が良い心理領域のことらしい。そして、そこから少し出た、心理的負荷がかかるゾーンを、ストレッチゾーンと言い、さらにそれを越えたゾーンのことをパニックゾーンと言うらしい。
僕はパニックゾーンに長く居続けた結果、ヘロヘロになったように思う。
本当は、ゾーンの境界線を見極める努力が必要だったのだ。自分で、きつい方向、きつい強度を見極めるべきだった。無理だったら無理と言うべきだった。その努力を僕は、人任せ、会社任せにしていたと思う。
ここが大事なのだが、会社は、資本主義の原理に従って、極力、従業員に負荷を与える方向に動かざるを得ない。その流れで、あなたの上司は、できる限りあなたに、負荷をかける方向に向かう。会社が存在する理由の一つに利益追求がある限り、これは自然なことだ。だから、会社はあなたの身を守ってはくれない。期待してはいけない。自分の身を守れるのは自分しかいないのだ。
ということを踏まえて、凡人は凡人なりに、身を守りつつ、成功者の言葉で自分を責め過ぎず、自分の限界を上手く知りつつ、成長していくのがよいのかなと思う。無茶はサイヤ人に任せよう。
以上です。Twitterをやっています。
多重債務者のことを「超サイム人」って呼ぶのはどうだろう?
— ぶるいぬ (@blblinin) January 23, 2021
人生格差はこれで決まる 働き方の損益分岐点 (講談社+α文庫)
この本、タイトルはアレだけど、なぜ労働はキツいのかの理解と、そこからどう解決するか?のヒントにはなったので紹介しておきます。