組織の意思決定の質の高さは、「価値観×論理×風土」で決まるのではないか?と思ったと言う話をメモしておく。
僕が20代で若かった頃、うまくいく会社は意思決定がうまいのだ(少なくとも必要条件だ)、そして意思決定のうまさは、論理的な思考力からくるはずだと思っていた。今思うと純朴すぎると思う。でも当時は「みんなが論理的に考えているから、いい判断ができて、業績が上がるのだろう」みたいに思っていた。(あまり論理的でない意見だが、その点は置いておいて。)平たく言えば「頭がいいからうまくいく」と言う仮説を持っていたわけである。
時は過ぎて30代、僕は転職をした。すると複数の会社を見比べることができる。そこで二つのギャップに気づいた。一つは、社員が持つ論理的な思考力の違いである。この違いは確かにある程度ある。が、組織のパフォーマンスを決定的に変えるほどのギャップではないように思った。
問題はもう一つのギャップの方である。それは、「会社の目標が明確に共有されていないこと」だった。会社の目標、ゴールみたいなものがそもそも明確でないのである。いや、確かに売上をとか利益が〜みたいな言葉は聞こえてくる。でも明確ではないし、少なくとも社員の間では全く浸透していない。
当時驚いたのが、社内で議論をする際の論理の拠り所として、「会社の掲げている目標ために」以外のものが堂々と用いられることだった。議論して何かを決める際に、「この方が僕は楽しいから」「面白いから」みたいなことが、堂々と語られるのである。これはカルチャーショックだった。少なくとも堂々と人前で言える論拠ではないと思っていたからである。(でも世の中の人は割とそんな理由で動いていたりする。)
ディベート大会で言えば、判定基準がない状態である。「どちらが金銭的に得か?」「どちらが多くの人の命を救えるか?」のように、判断基準が明確である場合、論理は力を発揮する。定められた価値基準を満たす答えに向かって論理を積み上げていけばいい。でも、そもそもその判断基準が明確でなければ、論理は活躍できない。
論理は、AならばB、BならばCと言う連鎖の正しさを保証するが、その連鎖がどこへ向かうかの正しさは保証しない。だからこそ、僕たちはどこに向かうべきか?に答える価値観が重要になると思う。ここは、その組織の哲学で決まる部分である。絶対的に正しい価値観は存在しないが、価値観の強固さ、みたいなものはあると思う。意思決定の質を高めるには、どこへ向かうべきか?を示す「価値観」と、正しく向かうための「論理」の二つが必要なように思う。
もう一歩踏み込んで考えてみる。その二つだけで足りるだろうか?価値観は組織のトップから発信されているし、論理的に思考できる人間もそろっていても、もし、組織の構成員がその価値観を強烈に支持していなければ、これもまた実りがある議論はできない。組織内の価値観の共有も、質の高い意思決定を支える必要条件だろう。これを風土と世の中では言ったりする。さらに言えば、論理をあいまいにして進めることを許さないことも風土が支えてくれる。きっちりと論理を詰めて進めることは困難で挫けそうになる。だから組織の末端まで徹底させることは難しい。やり切らせる相互扶助、というか相互監視の役割も、風土にはあるだろう。外資系コンサルの文化をイメージすればわかりやすい。
まとめると、質が高い意思決定/判断のためには、まず明確なゴール/判定基準、言ってみれば「価値観」がまず必要。次に、価値観に従って正しく進む「論理」、それらが当たり前のこととして皆で共有され実行されうる「風土」。この三つが揃って、初めて質が高い意思決定が行われるように思う。と言うことで、質の高い意思決定をするためには、論理だけでは足りず「価値観×論理×風土」が必要と言う当たり前の結論を確認したことになる。
と言うことで、論理の力を不当に高く評価して、それが意思決定の質を高める十分条件のように考えていたことを、振り返ると恥ずかしくなる。以下のようなキーワードでなんとなく思い浮かぶような二項対立があって、どっちもいるよね、むしろ前者がないと何も始まらないよね、みたいなことを考えたりする。
- 価値 ↔︎ 論理
- 主観 ↔︎ 客観
- ゴール ↔︎ 道筋
- 相対 ↔︎ 絶対
- 目的 ↔︎ 手段
「こっちがゴールだ」と強い哲学を持って示してくれて、迷った時の判断基準/価値観を明確にしてくれて、それを支持する人を集めてくれて、、と言う条件が揃っている組織は少ないのではないか。僕はそんなお膳立てをしてもらった組織にいることに気づかず、論理的思考だなんだとイキっていたような気がする。
「お釈迦様の手のひらの上でロジカルシンキングを」してたと言う感じがする。