人の話を聞くときに共感することは、信頼関係を築くために大切なことである。
しかし、自分と違う意見を聞いたときに、素直に共感することは難しい。「でも」「けどさ」など反論をしたくなるからだ。一方、反論せずに共感しようとすると、「嘘をつく」ことになり、聞き手の心は疲弊していく。
ではどうすればよいのか?意見が異なる相手の話を、共感しながら聞くためのコツとして、実践してきて確かに効果があると感じたものをここに記したい。
それは、「話し手を演じて聞く」ということだ。つまり、役者になるのだ。話している人に演技をしてなり切った状態で、聞き手になるということだ。
「もし私がその人だったら、その人と同じように考えて行動する」というのは真理だろう。反論のしようがない。
たとえば、連続殺人鬼の自己弁護の話を聞く立場に、あなたがなったとしよう。
もしあなたが、その殺人鬼と全く原子レベルで同じ身体、環境、経験をしていたら、同じような行動(連続殺人)を行うだろう。これは間違いない。だってその人本人だから。つまり、その連続殺人鬼になり切って、連続殺人鬼の話を聞けば共感できる。
共感できずに反論したくなる時、聞き手は「自分」がしゃしゃり出ている。「自分は違う」から、反論したくなるのだ。聞くときに、自分を入れてはいけない。芝居をする役者を考えてみよう。役者は演じる時に、役者自身の人格を出さない。その役を理解し、その役の人物になりきって演じている。
これと同じように、聞くときに「自分」を入れないことだ。話し手になり切って、話し手という役を演じながら聞き手をやるのだ。
つまり言い換えると、「”もし私がこの人だったら、そう思うのが当然だ”と理解した上で、その人になり切って聞けば、嘘なく共感できる」ということだ。
この「確かにあなただったらそう思うでしょうね」方式を取り入れて以来、かなり共感して聞けるようになってきた。みなさんも是非試してみてほしい。
===この記事は、以下の本の影響を大いに受けて記述しました===
以下、”21 共感とは芝居上手”より引用。
共感しているふりでは、話し手はどこか変に感じますので、見破られます。演技した共感や嘘くさい共感は、話し手をしらけさせ、ときには怒らせてしまいます。
聞き手と話し手の交流世界は、芝居の舞台と同じように、心の交流世界であり、いわゆる現実の世界ではありません。だから、話を聞いているときは、舞台上のことだと考えればよいのです。
聞き手は、話し手が話しているときは同じ舞台に立って、名優の「聞き手」を演じられることが大切ですが、舞台の外にまでそれを持ち出すことはできません。できると思っているほうが危険なのです。共感性とは心の世界のことなのです。