課題を与える装置としての仕事

(特に得られるものはない文章を、檸檬堂パワァで以下に記す。)

仕事辞めたい辞めたいと思い続けてもう10年近くになるのだけれど、仕事というものは、正直言うと憎めないところがある。

嫌々ながらも、強制されながらも取り組むことで、その中で面白みだったりとか、気づきだったりとか、達成感だったりとか、そういうものを感じてきたように思う。

僕を含め、世の中の95%以上の人間は、取り組むべき課題を自分で見つけられない。(だからこそ、それを見つけられて、他人に提供できる人間は金銭的にリターンを得られるのでは)

心地よいゾーン、という意味で、「コンフォートゾーン」という言葉があるけれど、大体の人間が、好きでやってる程度のことは、ほとんどの場合でコンフォートゾーンを抜けられなくて、そのせいで、「苦しい中乗り越えて、結果的に楽しい」みたいな、「ぴりぴりする快感」「この苦みがいいんだよ」的な快感を得ることができない。

仕事は、一種の強制力を持って人に取り組むことを強いるので、日銭を稼ぐという機能だけでなく、無理やり達成するように仕向けて、その過程で他では得られない体験をさせる、みたいな機能があるように感じる。

理想を言ったら、取り組むべき何かを自分で見つけて、全力を注いで、それがお金になると一番いいのだけれど。もう少し時間がかかりそうな気がする。

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