後輩にちょっと仕事を教えていた。
私「〇〇についてはわかる?」
後輩「わかります」
私「じゃあ説明してみて」
後輩「・・・(30秒経過)」
私「~ってことです」 ←代わりに説明した
後輩「いや、分かってたんですよ、でもうまく言葉にできなくて」
私「うーん…」
色々と思うところはある。「説明できないってことは、深いレベルで理解できていないってことだよ」とか。でも、そういうありきたりな話は置いておいて。
この時思ったのは、”人を判断する時に材料にできるものは、外から見えるものだけなんだな”と言うことだった。中で何を考えていようと、周りの人は知ることができない。この後輩とのやり取りの例でいうと、”分かっていた”かどうかは、私には知りようがないわけで。
そして、「これ同じ話だよね」と気づいたのは、鞄を持ってあげる男性の方が、持たない男性よりモテる現象のことだ。鞄を持ってくれるとか、結構表面的なことで、心の中で何を考えているかは分からない。でも、人は外に出てくるものでしか、人を評価できない。それは仕方ない。
人の中身は見えない。わからない。極論すると、何も考えてないかもしれない。(“中国語の部屋”みたいな)。極論すると、私は人に見えてるけど、中身は精巧なアンドロイドかもしれない。
この体験を通じて、「私の心をわかって欲しい」ってスタンスは、相手に甘えているんだなと、思った。無理なことを要求しているので。「私から外に出たもので評価してくれ」ってスタンスで行こうと思った。当たり前ですけど。