年を取ると、人は面白くなくなっていく。
いやちょっと言い過ぎた。正確には、「年を取るにつれて面白くなくなっていく人がいる」だろうか。”面白さの老化現象”とでも呼びたい。僕もかくいうその一人で、どんどんと面白いことが言えなくなっていく実感がある。(もともとどれくらい面白かったかは考えない。変化の話をしているのだから許してもらう。)
おじさんが面白くなくなっていく理由について考えてみた。結論としては、「いつも同じインプットをして、同じようなプロセス(処理)をするために、同じようなアウトプットしか出ないから」だと思う。
年を取ると生活に変化がなくなる。インプットが同じだ。いつもどおり朝7時に起きて、いつも通りに用意をして、いつもの時間の電車に乗って、過去にやったことのあるような仕事をして、いきつけの定食屋でご飯を食べて、いつも通りに帰宅し、いつも通りに寝る。当然考えることも同じようになる。新社会人なら、そのどれもが新鮮な変化、インプットなのに。
おじさんは、インプットが同じな上に、違った物の見方をすることも少ない。例えば電車に乗っていてもなにも感じない。例えば新社会人なら、「こんな満員電車に乗って、みんな頭狂ってるんちゃうか?」ぐらいの疑問を持ってもおかしくないけど、勤続10年ぐらいになると、そんなこと考えもしない。同じように日々モノを見続ける。というか何も見えていない。
人間も単なるシステムなので、同じものを入れると同じものしか出てこない。プログラミングでいう関数のようなもので、同じ入力なら同じ出力が出てくる。だから、いつもと同じようなことしか言えなくなる。
じゃあどうしたらいいんだろうか。
素直に考えると、1.インプットを変える 2.プロセスを変える のどちらか、もしくはその両方だろう。1について。同じ飯屋で飯を食べないとか、休日にやったことない趣味に手を出すとか、とにかくインプットを変えに行く。2については、原理的には、そもそも同じインプットだとプロセスは変わらない。なので、インプットが先ではあるけど、意識的に変えようとするのは無駄ではないと思う。同じインプットだとしても、何かテーマを持って見る。通勤するにしても、目にするものを子供のような気持ちで眺めてみるとか、名前をしらない物は何個あるだろうとか、とにかく処理の仕方を変えてみる。こんなところだろうか。
ということで、面白さの老化現象を抑えるには、とにかく変化をつけるべき、というのが結論。多分、インプットとプロセスとアウトプットは密接にかかわっていて、インプットを変えればプロセスもアウトプットも変わるだろうし、プロセスを変えればインプットもアウトプットも変わるのだろう。