【感想文】ぼくとついったー

ぼくはだいがくせいのころについったーをはじめました。

とうじのぼくは、ねっとまーじゃんあかうんとでした。まーじゃんをじくにしつつ、しもねたをつぶやくあかうんととしてなをはせていました。

ぼくは、とうじのかのじょに、「Twitterアカウントを教えてよ」となんどもいわれて、しょうじきにあかうんとをおしえたところ、「わたしのしってるあなたじゃない」といわれて、ふられました。

やはりついったーとはおそろしいつーるなのです。それは、あいをひきさくちからをもっています。おそろしい。ほんとうにおそろしいのです。ぼくはなきながら、しもねたをついったーにとうこうし、「いいね」をかてとしていきてきました。

そんなこんなでつきひはながれ、ぼくはついったーにはまりすぎました。いまぼくは、おかねをかせぐために、とれーどしすてむをつくるひつようがあるのですが、そのじつは、ついったーにじかんをつかいすぎるひびをすごしていました。

そこでぼくは「とれーどしすてむができるまで、ついったーにとうこうをしない」ことにしました。

そのけっか、ぼくは、ひんぱんにぶろぐをかくようになってしまいました。にこちんちゅうどくのひとが、にこれっとをかむように、ぼくはついったーをせずに、ぶろぐをかいていました。

さて、もし、とれーどしすてむができたとして、ぼくはどうするべきでしょうか?

「きんえんにせいこうしたごほうびとして、はい、たばこをどーぞ」というはなしがおかしいように、「とれーどしすてむができましたね。はい、ついったーをどーぞ」というのもおかしいきがしています。

とれーどしすてむができてもできなくても、ぼくはついったーをやらないほうがいいきがしています。

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